田中美佐子
先日、トリビアの泉に田中美佐子が出ていた。俺はこの田中美佐子が20年以上前から大好きで、今もそれは変わらない。俺の中では人類最強の女性である。
どこが良いとかそんな低レベルの話ではない。人類最強なのだからあえて説明の必要は無かろう。彼女の前では、うっちぃですら比較対象にならない、それほどの存在だ。世界人口の半分が女だとして、その30億の頂点に位置するのが田中美佐子なのだ。
田中美佐子はもちろん、良い女の殿堂入りを果たしている。大橋アナの話の時にも出てきた良い女の殿堂、最近殿堂入りしたのはうっちぃや辺見えみりだ。他には内田有紀、高嶋礼子、かとうかずこなどが居る。古いところでは山口ももえも殿堂入りしている。
もうわかったかもしれない、そう、本当に良い女とは男を見た目や人気度、金では選ばないのである。早い話、ブランド志向ではないのだ。
先にあげた殿堂入りしている人たちはいずれも世の男ならまず断る理由が無い女性である。極端な話、その対象は男すべて、選びたい放題なのだ。しかし、何でも手に入るのにブランド物には目もくれず、金にも目がくらまない、自らの尺度だけで判断していると思われる。それだけ自分に自信が有るのだろう。
田中美佐子が選んだ相手はTAKE2の出番が少ないほうである。殿堂入りの中でも最上級レベル、30億の頂点は伊達ではない。
最近はそれほどメディアには露出しなくなったが、それでもその美しさは衰えてはいない、今も頂点のままだ。
例えようが無いというか比べることすら難しい、人類至上最高の美しい女性と同じ時代に生まれたことに感謝はしているが、そんな幸運に恵まれたにもかかわらず、妻にする事ができなかったのは俺の人生で最大の不覚でも有る。
しかしだ、俺はあきらめたわけでもない。俺はチャンスが有れば逃さない。これまでもその時の決断の速さで死なずにやって来れた。後はそのチャンスの時が来るかどうかだけだ。一回も来ないかもしれないし、もしかしたらくるかもしれない。来たらその時は決めるだけだ。
人生とは妥協の中から幸せを見出すものなのかもしれない。その幸せこそがその人の生きた証であり、本物の幸せなのだと思う。得るのではなく築くもの、それが真の幸せだろう。